現在ヤフオク出品中の作品論評。


作品「マネー資本主義と愛」

「マネー資本主義と愛」では、小さなキャンパスの中に実に様々な要素が描かれている。いわば小さな世界を感じさせる。これは、1つの桃源郷を描いたような、いわば田中拓馬版「壺中之天(仙人の力で壺の中に入ると、立派な建物があり、美酒とおいしい料理がずらりと並んでいたという中国の故事)」とでも言うべき作品なのであろうか。作品を具体的に見ていきたい。

まず注目したいのは、画面に5体いる“ネコウサギ”たち(彼の近年の作品に多く登場するキャラクター)だ。特にそのうちの3体がハートマークを持っているのは、画面上部に描かれた「¥€$ vs LOVE」の“LOVE”、つまり、作品タイトル「マネー資本主義と愛」の“愛”を示しているのであろう。また、画面全体に漂うように拡がるピンク色も、同じく“LOVE”を示しているのであろうが、ここで注意しなければならないのは、この“LOVE”が、あくまで“¥€$”、つまり“マネー資本主義”との対立として考えられていることだ。つまり、この“LOVE”は、単なる精神的なものではなく、社会システムにも関わるものであることを確認しておきたい。

ところで、ハートマークを持っているネコウサギが、画面手前のものとまったく異なる描かれ方をしていることにも注意したい。画面手前のネコウサギは、黄色い体などこれまで作家の作品に描かれてきたものと一致した特徴を持つ。(仮にこれを“オリジナルネコウサギ”と名付けておこう。) 対して、それ以外のものは、頭の横から髪のようなものが生えているなど、これまでの作家の作品には表れてこなかったものだ。作家に確認したところ、“ロン毛ネコウサギ”というネコウサギの異種なのだという。そのこの作家一流のユーモラスな呼称と形態は置いておくが、ここでは、この“ロン毛ネコウサギ”が、画面手前の“オリジナルネコウサギ”と比べてくすんだ色あいを持っており表情も分かりにくいことも見ておこう。

このぼやかし方が、作品の他のの要素に共通するものであることも見ておきたい。中央の四角い青色は池かなにかかもしれないが、はっきりとはわからない。このぼやかした描き方は、ピンクや青、白の色の感じと相まって幻想的な印象を与える。さらにそれを強調するのは大胆に描かれた黒色で、この黒色が何らかの具体物を描いたものではないことがはっきりしているだけに、かえってその周りの要素にぼんやりとした印象を与えている。また、大変興味深いことに、全てのロン毛ネコウサギは下半身が隠されている。また、画面の多くの場所に小さく描かれた「¥€$」の記号も、矢印をともなっていることから、おそらくつながっているのだろうが、そのつながりは断たれている、というよりもむしろ隠されていることがわかる。左下に大きく描かれたハートマークも上から黒く隠されている。つまり、この作品では、おそらく描かれるべきものが意図的にぼやかされ、あるいは隠されているのである。

なぜ隠されているのか。それを考えるためにも、ほとんど唯一その描き方から逃れている要素に目を向けよう。つまり、手前に描かれた“オリジナルネコウサギ”である。私は以前に、このキャラクターを資本家の隠喩として解釈したことがあるが、この作品でも、“マネー資本主義”を象徴するものとして考えることが出来よう。その存在が、ぼんやりと描かれた“LOVE”である存在たちを背景に、鑑賞者の方を見ているという構図が、この作品に重要なアクセントを与えている。つまり、この“オリジナルネコウサギ”だけがこの作品のなかで異質な存在なのである。

ただし、この存在の解釈は容易ではない。もし冒頭に述べた「壺中之天」の例えを適用するならば、いわば“LOVE”の世界にまぎれこんだ現代人の象徴とも考えられよう。しかし、そう考えても、この存在がなんのためにこの世界にいるのかははっきりしない。「¥€$ vs LOVE」という言葉をそのまま信じれば、LOVEの世界に戦いを挑んでいるのだろうか。しかし、作品の構図には対立を示唆する要素は上部の文字を除いて存在しないのである。そして、田中のように相反するものを作品に昇華させる作家に対して、その言葉をそのまま受け取るのはかえってその作品の本質を見失わせよう。

よって、ここではこの存在の意味については明確な解釈を与えるのは避けたい。ただし、この“オリジナルネコウサギ”の存在によって、作品が単なる幻想的な作品、例えば過去のノスタルジーを描いたものから逃れていることが指摘しておきたい。この、現実的な重みをもった異質な存在が画面にあることによって、例えばこの世界を作家なりの未来の構想ーつまり、理想を持ちながら不確定(あいまい)なものーとして解釈することも可能になってくるのである。

文:内田淳 1977年生まれ。男性。工房ムジカ所属。現代詩、短歌、俳句を中心とした総合文芸誌「大衆文芸ムジカ」の編集に携わる。学生時代は認知科学、人工知能の研究を行う。その後、仕事の傍らにさまざまな市民活動、社会運動に関わることで、社会システムと思想との関係の重要性を認識し、その観点からアートを社会や人々の暮らしの中ににどのように位置づけるべきか、その再定義を試みている。田中拓馬とは高校時代からの友人であり、初期から作品を見続けている。