遊ぶことは発想の元


スタッフ通信

「遊び」ができるのは、高等動物に限られています。 そのなかで、長時間遊びに熱中できるのは、人間だけです。 他の動物も遊びを行うこともありますが、短時間しか継続しません。 この点で、人間は特殊な生物です。 その気になれば、10年以上の期間を、一日中遊びだけで過ごすこともできるのです。 これにより、遊びには、深い理由があるに違いありません。特に子供のときに遊びに熱中することは、それ以降の精神形成に重要な影響があるに違いありません。 また、科学者は強い好奇心に導かれて研究に没頭します。 その意味では、遊びと同じことをやっているのです。 科学者の心の中では、子供のときの遊びと研究が連続している場合が多いです。 多くの科学者は、子供のときには遊びの天才だったに違いありません。 それどころではありません。科学者は大人になっても遊びに熱中していた人が多い。 アイシュタインの書籍には、数学ゲームの本がたくさんあったそうです。

考えてみると、遊びは、発想との関連でいくつかの興味深い特徴を備えています。 第一に、面白いので、熱中できる。 遊びは親から指示されて行なうものでなく、子供が自発的に進んで行なうものです。そして熱中する。 第二に、遊びでは、失敗しても致命的な事態にはならない。だから、大胆な発想が展開できるのできる。 こう考えると、子供のときに遊びに熱中できなかった人は、成人しても発想が不得手になるといえるかもしれないです。

田中拓馬は子供の頃、遊びがとても好きだったそうです。 砂遊びや物を組み合わせたりする遊びを好んでやっていたようです。 それが、大人になってから、作品を創るにあたっての発想に結びついているのです。 ありふれた具材などの中からクリエイティブなものを創りだしてゆく。 まさに、発想が豊かでなければやっていけない作業であります。 さらに、何時間もキャンバスに向かって作業するのは、子供の頃の遊びの経験は、大人になってから発想するための必要条件であります。